Last Updated on 2023年10月25日 by side8
沖永良部島は周囲55.8kmの小さな島だ。田皆岬から望む東シナ海は絶海で、奄美群島の中でも孤高の存在だろう。一泊二日の短い日程もあって、島で他の観光客とは出会わなかった。
荒寥で雄大、居心地が良くて、上陸した日は田皆岬で多くの時間を費やした。人と出会わず、岬の遊歩道を散歩したり、ベンチに座ってただ海を眺めた。
2006年当時、docomoはmacOS(Mac OS 8×)をサポートしていなかったので、モバイルに関して窓口に問い合わせても何の情報も持ち合わせていなかった。個人ユーザーのトライアンドエラーとその情報を頼りに、Web上で通信手段を探すしかなかった。
docomoのような国産の通信企業はWindowsしか相手にしていなかったので、appleユーザーは有志が作ったdocomo未承認ドライバ等に頼るしかなかった。利用は自己責任、でもその当時、その未承認ドライバは本当に役立った。今でも感謝している。macOS(当時はMac OS 8×)とi-modeの相性は悪かったが、南西諸島バイクツーリングの旅の宿は現地でWeb検索した。ナビはGarmin。
※ 2009年にiPhone 3GSが発売された時、WWWが使えるだけでも迷うことなく乗換た。とにかくi-modeは使いにくく囲い込みのネットワークだったし、料金がバカ高かった。2003年頃からモバイル通信を検証していた身からすると、売れない理由がiPhoneにはなかった。Google検索が使えるだけでも閉じたネットワークi-modeの終了を確信した。カタログスペックしか頭にないコラムニストの批判はあったが、的を外しまくっていて笑った。GPSの精度の悪さや、通信環境の未成熟も現実にはあったが、それでもdocomo i-modeは足元にも及ばなかった。
2006年当時は残念ながら不便なi-modeしかなかった。仕方なくテザリングでWWWに繋げたのだけど、二ヶ月で使った通信費は250,000円程。一般的な旅で使うには現実的な通信費ではない。
沖永良部島でも港について宿を検索、見付けたのが「フーチャランド王国」。予約の際「うーん、まぁいいか」と受付の歯切れが悪かった。宿に到着するとオーナーが「実はもう営業をしていない、素泊まりでなら」と理由を教えてくれた。夜はオーナーと近所の居酒屋で食事。
数十年前に喘息の療養でこの島に渡り、それから共同経営でペンションを始めたとのこと。大阪弁なので不思議に思っていたところ、元々大阪でアフリカ雑貨の輸入業を生業としていたと話してくれた。宿にエスニックな置物が所狭しと並んでいた理由が分かった。
その後共同経営者とは袂を分かち、一人では回せなくなり、予約を受け入れられなくなり、客足も減ったのでペンション業を止めようとしていると話してくれた。「このペンション買わない?」とも。正直、金があったら買ってたかもしれない。
食事を終えて宿に戻ったのだけど、夜が大変だった。田皆岬で時間を使いすぎたので買い出しが出来ずにチェックイン、廊下に自動販売機があったので、「大丈夫か」と思っていたのだけど、夜中買いに行くと壊れていた。
ペンションの入口を見るとドアの鍵が壊れているらしく、ロープでグルグル巻きに縛られている。オーナーが何処に居るのかも分からない。断りもなく勝手に外して、施錠出来ないまま外出するのは気が引けた。仕方が無いので朝まで待つことにした。
携帯電話は電波が届かない。ベランダ側は石垣だったので昼間であれば降りることも出来たが、暗闇だ。抗血小板薬を常用していたので、万が一落ちて怪我するとまぁまぁ深刻な状況に陥る。喉がメチャクチャ渇いたけど、朝まで待てば「朝食を用意するから、食堂まで食べに来て」と言われていたので、飲み物もあるだろうと眠ることにした。
目覚めてから食堂に行くと、窓の先には隆貴珊瑚と雄大な東シナ海が広がっていた。窓際のテーブルにはフードカバーの中に目玉焼きとトースト。ポットには温かいコーヒーが。オーナーの姿はない。
その景色は、今もまだ鮮明に記憶に残っている。どんなに小洒落た都心のカフェでも再現不可能な美しい一角だった。誰もいない食堂の椅子に座り、雄大な海を前にしているとオーナーが現れた。
ペンションは終わりだから、もう二度と会うことはない。チェックアウトが今生の別れだ。それでも「また」といって互いが見送る。
今はもう建物すら存在しないらしい。でも、あの日の食堂の朝は、普通な旅の途中、ただの一日の始まりだったけど、バイクツーリングの旅の中でも三本の指に入る朝だった。ポットから立ち込める湯気、窓の外の東シナ海、孤島の宿の小さな食堂、写真を撮ることすら忘れた。宿の写真すら撮ってない。