Last Updated on 2023年10月19日 by side8
小さな離島は見所が海とビーチ、港と桟橋くらいだ。長期滞在ともなると人によっては退屈だろう。でも性に合えば、それらはただの思い出ではなくなり、ダイアモンドの煌めきも及ばない体感として何時までも留まり続ける。旅の記憶が殻となって、日々の憂鬱から身を護ってくれる。
見知らぬ土地では何をするにしろ、好き嫌いに関わらず人とのコミュニケーションが促される。でも、旅路で相対する時間は基準がカウントダウンだ。滞在最終日でゼロとなり、一度リセットされる。互いに興味があれば再会するだろうし、多くの場合は今生の別れだろう。
蟠りや疑心が芽生える前の別離、物理的に見返りを求めるまでの時間は費やせないから、濁りがなく無垢だ。一期一会で「旅の無事」を心の底から祈ったりする。
人間同士の深い繋がりも大事だとは思うが、シンプルだからこそ魅力的な関係性も存在する。一人旅でも縁は感じるし、台風一つで物資が滞る離島では「互いが協力」しないと生きていけない。離島旅は人との距離感を測りやすい。
絶海だから閉鎖的だったり、コミュニティの規模から仲間意識もあるだろうけど、愚直な優しさも強い。一度立ち止まって頭を整理するには格好の環境だろう。人や感情との距離感が良い塩梅なので、無駄に急ぐ必要もない。
竹富島で知り合った尾道在住の女性ヘルパー(ここでは尾道さんと名付ける)は「長期滞在と、移住は全く意味が違う」と言っていた。一度石垣島に移住したそうだが、今は尾道に戻り、季節が来れば石垣島を訪れていると話してくれた。
私が滞在した竹富島「高那旅館」はユースホステルが併設されていて、大学生、カメラマン、尾道さんの仲良し三人組とは直ぐに打ち解けた。大学生とはその後波照間島で再会するし、尾道さんとは数ヶ月後尾道で待ち合わせをして文学のこみちを散歩した。
波照間島の陽が落ちたサトウキビ畑から見上げた満天の星空は何十年経っても鮮度を失っていない。屋久島の宮之浦岳山頂や夕暮れ時の永田いなか浜もそうだ。「また行きたい」という衝動が日々を生き抜く為の燃料となっている。
離島が好きな理由の一つは思い出もある。4歳になるまで、長崎県西彼杵群高島町という閉山した島で生まれ育った。潮風と潮雨に晒されたコンクリートの風化模様、寂れた港の姿は原風景だ。今もあの頃の思いでは鮮明に映像として残っている。南西諸島の色彩豊かな美しい島々は勿論だけど、宿泊施設もない少し閉鎖的な島であっても、駆け回っていた子供の頃の町の裏路地のように懐かしく感じられる。
離島旅を思い描くと、どうしても南西諸島や伊豆諸島、小笠原諸島等に気が向く。より遠い島に憧れを抱くのは自然な感情だ。でも、地元の離島にも魅力はあるし、日帰りや一泊旅行でもシミュレーションになるのでオススメ。離島間の移動は当然船なので、長旅の前に船酔い具合を試すのも大事だろう。
例えば沖縄も、西表島を越えたあたりから天候が急変し、フェリーがメチャクチャ揺れる場合もある。慣れないと大変かもしれない。長期滞在であれば数日休んでから散策、も可能だろうけど、二泊三日の旅の一日が船酔いで台無しになるのは勿体ない。写真は「フェリーよなくに」、突然の雨風で船が揺れた
距離や滞在期間によってはまぁまぁお金も使うし、まずは近場であれこれ試すのも良いと思う。