Last Updated on 2023年10月4日 by side8
心臓の痛み、「もしも痛みが治まらないのなら、いっそのこと殺してほしい」と思う程強烈。カラカラなのに湿っていて、他の苦痛とは一線を画している。痛みは背中や奥歯に飛び、肺の内側を引っ掻かれる感じ。
尿道に管、採血は日課。点滴の針も刺さったままなので付け根が痛む。針を刺す場所がなくなり足の甲からも。太腿の付け根からは補助心臓、5日間くらいだっただろうか、水も飲めず少しの寝返りも打てなかった。
心筋梗塞から退院して一ヶ月後の出来事、バイク事故で鎖骨と肋骨三本の四ヶ所骨折、加えて折れた肋骨が肺に刺さり肺挫傷。当初予定していた鎖骨にボルトを入れる手術は麻酔医の判断で中止となった。利き腕側の鎖骨だったので、腕をサポーターで体に固定し三ヶ月、左手一本の生活が続いた。結局骨は繋がらず、握力は一桁台に。
心臓と合わせてリハビリは2年以上。
2度目の心筋梗塞、無酸素運動禁止、血圧は「130以上上げないように」との注意。許可された運動は徒歩のみ、だから毎日歩いた。最初の目標5,000kmは達成したけど、元の半分も心機能は戻らなかった。ただ、歩き始めてから1年半後くらいだろうか、病後初めて全速力で走ったときは感動だった。あの突き抜ける感触、99の「死にたい」を振り払える1だ。
出来ないことと、出来なくなったこととでは受けるダメージが全く違う。だから、病で急激に身体能力が落ちると心身のバランスが崩れる。人が何故緩やかに老いるのか、病気を経験するとその理由に気付く。急激な能力の落差、その現実を人は簡単に受け入れられない、自分は無価値になったと判断してしまう。
当時、5,000km歩いても大した効果が現れなかったのは現実としても、「全速力の感触」を感じられたのは大きかった。モチベーションを保つのはその時々の記憶点で、それが鮮烈であれば繰り返し思い返せるし、感覚という無形も目標になる。
味の無いガムでもかみ続けられるのだ。
膵臓の痛み、最初は下腹部の小さな違和感だった。右側の中心にあるそれはやがて重く、痛く、夜が明ける頃には歩けなくなるまで強さを増した。気力を剥ぎ取る吐き気と、40℃越えの発熱が数日続いた。今何処にいるのか、これは夢なのか、瀬戸際に立っていて、迷路のような色の筋が病室の壁一面に広がる幻覚を見た。
首の根元から膵臓までカテーテル、鼻から腸まで管が通され絶対安静、食事はおろか水さえ飲めない日が二週間程続く。鼻の管は時に喉に張り付き嗚咽が止まらなくなる。口の中はドロドロで、時が経つのをひたすら待つしかなかった。
膵炎は計3回患ってる。人は絶食にも慣れるし、病院だと点滴もするから、一週間程度なら絶食も大したことはない。食事よりも遙かに辛いのは水が飲めないこと。ただしこれも10日程度過ぎれば何ともなくなる。点滴から水分を補給していると体が気付くのか、喉が渇かなくなる。
外科手術の痛み。術後、血管を採取した左腕と右足は千切れる程痛かった。「朝まで待てば」と何度も心で呟きながら朝を待った。解熱剤や痛み止めには相性がある。効かなければ熱は下がらないし痛みも収まらない。そうなると次の薬まで時間を空ける必要があるし、薬の変更は医師の判断が必要だ。日が暮れると夜明けを待つしか無かった。
腹に埋め込まれた四本の管を順に抜きながら、予め傷口に準備していた糸を締める。その独特な鈍痛。内臓に触れていた管が滑り、筋肉と皮膚の外へ出るときの不快は今も忘れられない。
開胸手術の痛みは一年続いた、術後三ヶ月は眠剤と痛み止めが無ければ眠れなかった。寝返りや体の捻りもワイヤーで止めた骨がずれるからと言われ、僅か1キロの荷物さえ持たないよう注意を受けた。痛みが常だと感覚が鋭敏になる。皮膚と骨の痛みの違いが分かるようになった。胸骨切開部分に二層の痛みを感じるようになるのだけど、それはそれで気持ちが悪かった。
血管を取った左腕と右足の強烈な痺れは半年続いた。耐えられるレベルまで落ち着くのに一年。でも一年を過ぎると痛みや痺れが和らいだ。ただし、和らいだと言っても普通レベルの痛みは残った。治まるまで約5年。
痛みはもうウンザリだ。正直辛いし、その時々で挫ける。痛みからの解放が「死」ならば、その選択を愚かだとは思えなかった。経験がないと理解し得ない領域で、余程大切な人の言葉でもない限り届かない。経験を伴わない言葉はリアリティに欠ける。思いやりの有り無しや是非ではなく、現実としての皮膚感から仕方が無い。患者も本心を失う。
だから、それに比べれば数年バイクに乗れないとか、十数年旅が出来ないは耐えられないストレスではない。過去の体験はモチベーションの具現なので、テンションが下がればその記憶を引き出して仕切り直せる。その繰り返しだ。
南西諸島の海は島毎に違う。宮古島の海はとても穏やかで美しい。癒やしの海だ。その海を渡る、池間大橋と来間大橋は特別で、出来るなら是非バイクで渡って頂きたい。私は滞在中何度もバイクで渡った。
当時、伊良部大橋はまだ橋桁すら無く、建設予定地に資材が積まれているだけの状態だった。工事の看板を前に「完成したら絶対に渡る」と誓ったものだ。北海道や小笠原諸島の後に、宮古島バイクツーリングは再度計画を立てたい。
来間大橋と当時愛車だったSUZUKI GSX1300R 隼 K6